こちらのコーナーでは「ライトボディワーク」に関する、よくある質問と重要ポイントの質問が掲載されています。

Q:光の圧縮呼吸をする時は気合いを入れて行った方が良いのでしょうか?


A:これはむしろ気合を入れずに、無理のない範囲で行った方が良いかもしれませんね。

あまりに気合を入れすぎますと体が硬くなりますし、吸う事に気持ちが向きすぎて過呼吸になってもいけませんからね。

初日でお話したように、何事も無理のない範囲で行うことが肝要ですわ。


Q:稽古は必ず立って行った方が良いでしょうか?


A:これは寝て行っても座って行っても大丈夫ですわ。

例えば陽気の良い日にはレジャーシートを持って公園などで寝転びながら行うと、養体を鍛えつつもリフレッシュも出来ておすすめですね。

目は瞑ったままでも構いませんし、そのまま昼寝していただいても構いませんわ。

初日稽古は、その全てを寝転びながらでも行えますし、二日目の内容も足踏みなど体を大きく動かすパート以外でしたら寝ながらでもいけそうですね。

また、目を瞑る事で人によっては逆に体内のコアの眩しさを強く感じる場合もありますので、そういう意味でも目を瞑るのは興味深いやり方になりますね。


Q:稽古は三日分を一日で行っても大丈夫でしょうか? PDFは最初に読んでも構いませんか? あと、オススメの日光浴時間はいつでしょうか?


A:ライトワークはデビルアイマスターほどの脳の休息時間を必要とはしませんので、あなたの体力と集中力が続く限りにおいて続けて聴いても大丈夫です。

PDFに関しましても先に読んでいただいても構いませんわ。

太陽を浴びる時間はやはり午前が強力で、特に朝日はおすすめですね。

午後も、午前よりは少しパワーが落ちますが、夕日などの一つの節目には強力な力があります。



Q:コア作成を応用して、強力な無限の光の生成装置としての疑似太陽を作る事は可能でしょうか?

また、初日の全身の太陽光発電パネルへとケーブルを繋ぐイメージで、全身にケーブルを張り巡らせる事は可能でしょうか?


A:1つ目の質問に関しましては可能ですが、注意が必要な内容と言えます。

と言いますのは、確かに擬似太陽は強力なのですが、そのエネルギーに肉の本体が耐えられるかという問題が浮かび上がってきます。

ライトボディワークはある程度肉体寄りの技法になりますので、その結果として肉体に変化が出やすい部分があります。

この場合の問題点は、太陽を入れてしまうことで陽の要素が強くなりすぎて、その結果、肉体を干からびさせてしまう危険性ですね。

高性能だからといって乗用車にジェット機のエンジンを積み込んでしまったらバランスを著しく崩すのと同じように、1つを大きく強化した結果、全体に弊害が出てくる可能性も見ていかなければなりません。


ライトボディワークは、魔法の技法と同じく、良い効果をローリスクで獲得する事にも気を配られていますからね。

ですので、少しもどかしいでしょうが通常の方法で鍛えていき、稽古が進んでより強い光でもいけそうだと感じましたら、少しずつ強くしていく事をおすすめいたしますわ。

また、自分の上限は非言語などで感知していくと良い感じですね。


2つ目の質問につきましては脳のメモリが許す範囲において可能です。手足に伸ばせるという事は他の部位にも…という事ですね、うふふ。



Q:これは仙道的な周天系のやり方を利用しても良いのでしょうか? また、こうした稽古はストイックに歯を食いしばってやる方が良いのでしょうか?


A:周天はしっかりとした稽古を積んで知識、制御、体感を身につけている方という前提においてならば可能ですが、そうでない場合には、あまりおすすめはいたしませんわ。


これはなぜかと言いますと、仙道系の技を使うと気血バランスの世界になってきますので、やり方を間違えるとバランスを崩してリスクが生まれるからです。

魔法やライトボディワークはメソッド自体がそうしたリスクを極力排除して良い効果のみを取り入れられるよう配慮されていますが、仙道などの体系はあなたも既に御存知の通り、強力なマスターやメンターの指導の元に行わないとリスクを負うケースが多いので注意が必要と言えます。


これに付随して、もう1つ有益な知識をお伝えいたしますね。


例えば巷の仙道や呪術、魔術などで多くの人が失敗するのは「こういうやり方が正しい」と与えられた知識に固執して、たとえ自分の体に合わないやり方でも無理を押し通して、その結果、魔力やオーラ、気血のバランスを著しく崩したりするケースが多いからです。

これは何故かと言うと「自分の体との会話」ができない故に起こりがちな失敗ですね。

つまり合わないやり方や間違った方向性に走った場合に肉体や精神は「それは良くない」というシグナルを発信しているのに「自我と知識、思い込み」でそれを塗りつぶしてしまい、自ら無理を押し通した結果、体を大きく壊すわけです。


こうした出来事は非言語を身につけているとセンサーとリミッターが働き「これ以上は危険だ」とわかりやすいのですが、巷のメソッドや道場の多くは非言語を疎かにしていたり、そもそも非言語の概念自体が無かったり、根性を強要して危険な稽古部分を無理に押し通したりする傾向があります。


また「特殊な力を得たい」「より強力な力を得たい」という、あまりにストイックすぎる修行者の動機や、焼けつくような力への渇望の心は危険な存在を引き寄せやすくなりますし、「苦行であればあるほど価値が高い、強い力を得られる」という苦行信仰も攻撃的な精神性を生み出していきます。

これは、ある一面では力を得られますが、そうした苦虫を噛み潰して苦労して手に入れた力というのは、強力なものも多い反面、自負心や慢心、侮りなどの心のスキを数多く生み出します。


つまり「俺はこれだけ苦労した」という心が生まれるわけですね。

これは、人間が生み出す心の中でも最も大きな隙の1つです。


特にこれは、苦しい修行をした人に特にありがちな罠で、この世界で小さく力を振るう分には有効なのですが、世界の規模が大きくなった瞬間に途端にそれは力を失いがちになります。

そして何よりも、信念体系にとってそうした人たちのメンタルは最も操りやすいものですから、知らない間に信念体系に簡単にハッキングされる危険性が高まります。


苦しい修行で力を身につけた人の多くは、無自覚に他人にそれを強要しやすくなりますし、苦行の量で他人の価値と能力を推し量りがちになります。

「俺はこれだけやった」という自負心故にその技法以外を認めにくい心が無自覚に育ちますし、他者との比較をしやすくなり、苦行で身につけた力以外を否定しがちになります。


これらの心は、悪意ある信念体系からしたら格好の獲物同然です。


ですから、あまりにストイックすぎたり生真面目すぎるのも考えものですね。

時に、何も考えていない素人の方がよほど達人に映るのは、こうした心の働きもあるわけですね。

だから稽古は苦しくならない範囲でゆるく、時に気軽に行う必要性があります。


魔法使い入門でよく言われている「ゆるく楽しく学んじゃおう」という言葉は、それ自体が強力な叡智であり、あらゆる意味においてリスクを事前回避する安全装置の役割を果たしているというわけですね。

ここはさりげに学びの極意とも言える部分ですので、しっかりと覚えておいて下さいね。



Q:「光の密度の維持」についての質問があります。

光のブーツに関して、これは足のブーツに限定せず、全身の各箇所に同様に生成できたり(グローブなど)、体全身を覆うアーマーにもできるのではと思いました。

この時の密度について、例えばブーツの場合、振り上げた方の足のブーツの光が反動で踏みつけた側の足へと移動して、瞬間的に踏みつけ側の効力を一気に強化し、これを交互に移動する。

アーマーの場合、動かした体の遠心や力点、支点に応じて流体的に移動するといったように「状態や必要に応じて光の密度を変化させる」べきか、それとも体勢や状態にかかわらず「常に一定密度で光を均一に維持」し、強化するときはそれをベースとして底上げする感じなど、密度そのものの扱いについてはどちらがよろしいでしょうか?


A:あらあら。大魔法使いちゃんから聞いていましたが、あなたは本当に鋭いですね。

アーマーに関しましてはポレンちゃんがいつか教える予定でしたが、もう気付いちゃいましたか。


光の扱い方につきましてですが、これはどちらも良い方法と言えますね。

基本としては「常に一定密度で光を均一に維持」を行ってから、ケースによって光を一点に集めたり流動的な扱い方を身につけていくと稽古が捗ると思われます。

うふふ、こう聞くとまるで某ハンター漫画の念のお話みたいですね。



Q:「コアの位置と数」についての質問があります。

例えばコアを中央だけでなく、間接や局部など人体の要所などに複数配置してみたり(さらに大きさも変えてみたり)、配置したコアの位置を、上記の動きの質問のように流動的に、あるいは振り子のようになど動く形でイメージしてもよいのでしょうか?

あるいはこれも一局のコアに集中し、変えないほうがよいのでしょうか?


A:これに関しましては安定性の観点からも、基本的なみぞおちの場所に固定することをおすすめいたしますわ。

その理由としましては、あの部位は人間の物理・精神両面での構造上、光を扱うのに適した場所であることがあげられます。

そうした「適した部位」以外に配置した場合、少し気持ちがせわしなくなったり相性が合わなくなる可能性が存在しますので、そうした面からもみぞおちの部分に置くことを強くおすすめいたします。


補助やテスト的に体の各部位に小さな弱い光を配置するくらいでしたら大丈夫ですが、その場合も非言語能力などで丁寧に自分の状態を監視して体の声を聞き、何か拒絶感や不自然な感じがしたら、すぐに光を消すなど繊細な感覚を持って対応してくださいね。



Q:光のケーブルの効果付与と属性についての質問があります。

魔法使い入門8巻のワイヤーでは注力したい内容に合わせて流すエネルギーの色や質などの属性を変えていましたが、これはライトボディの概念でも同様なのでしょうか?

この部分に関しては、陽の光でなくとも、月の光でもいいとあったように光の属性を変えることはあるのかもしれませんが、さらに極端な話、魔眼のエンチャントのように風や雷など光以外の要素でもいいのでしょうか?

また、光のケーブルはこれもまた知覚の範囲のフィールド等、別の技法のそれと同体にできないかとも思ったのですが、これも循環的なところに主眼を置いて、あくまで伝導体としてわけるべきでしょうか?


A:ケーブルに風や雷を通すのもある意味では可能ですが、基本的には光の系統で行うことをおすすめいたします。

これは何故かといいますと「コアという器官自体が基本的に光に対して親和性が高い」という点が大きいですね。

光の器官ですから扱う力も光系にした方が、より効果が出るといった感じでしょうか。


そしてケーブルについてですが、基本的には手足に通した後は、練度をあげて余裕があれば他の部位にも伸ばしてみるというのは有りかもしれませんね。


これは重要な知識ですが、ライトボディワークの強みはその構造のシンプルさにあります。

極端な話で言いますと「コアとケーブルさえ鍛えれば全体レベルが上がる」という鍛錬構造のシンプルさ、そして、その効果の高さが強みであり最大の武器と言えるわけですね。

ですから、ケーブルを色々と弄り複雑化することで「高機能になっても逆にパワー自体はダウンする」という事態になる可能性も考えられますから、そのあたりは脳のメモリ管理との相談にもなります。


私が紹介したかったポレンちゃんも物理年齢は100歳にも満たない、私達の中では異例な若さの女の子ですが、そうした彼女が全存在の中でもかなり上位に位置する力を所持しているのは、ひとえにこのシンプルな技法を極めているという点が大きいです。


八極拳などの内家拳では「相手が跳んだりはねたり色々な技を学んでいる間に、こちらは全てを打ち倒す絶対的な一撃を作り上げればいい」と言いますが、ライトボディワークの技法はまさにそれに近いものがありますね。

事実、彼女の戦い方は、武の練度の高さもありますが、基本的には圧倒的な光の力で相手を制圧する黄金色の聖闘士みたいな戦い方をしますからね。

複雑なことをしないからこそ強くシンプルに力を練り上げ、極限まで引き上げる事ができるというわけですわ。



Q:「とりこむモノ」についての質問です。

上記の質問と多少バッティングしますが、とりこむ対象は光以外にどこまで拡大してよいのでしょうか?

例えば、美しいものを見たときに感じる気や感動といった概念、あるいは、非言語センサーを周囲に張るような感覚で、感じ取れる「気の全て」などを供給源として使うのはどうでしょうか?

それともやはり安全性の面などから、光に絞るのが良いでしょうか?


A:こちらも素敵な質問ですね。

これに関しましては、感動や美しさなどの取り入れたいものがあった場合には、それを一旦「光の粒子」や「光のシャワー」のような光のクオリティに変換してから取り入れる方が、光の性質や構造的にもマッチして安定しますのでベターかもしれません。

ここでもやはり「光だけ」というシンプル構造ゆえに、力が統一されやすいというメリットが出てくるわけですね。